・監督 中澤暢美
・ヘッドコーチ 谷山宏典
・コーチ 高柳昌央
・コーチ 高橋和弘
・コーチ 天野和明
・コーチ 小久保裕介
・コーチ 佐々木理人
・コーチ 宮津洸太郎
・コーチ 松本拓也
・コーチ 小野瀬奈津季
・コーチ補佐 川嵜摩周
・コーチ補佐 長嶺武
監督 中澤暢美
2022年に我が山岳部(以下MAC)は創部100周年を迎える。
時にはMAC出身者による輝かしい実績で国内山岳界においてMACの存在を高めてきた。時には山岳事故・遭難によりかけがえのないメンバーを失うなど、不幸な出来事にも遭遇してきた。そういった栄誉と苦難に巡り合いながら、大正・昭和・平成そして令和と時代を跨ぎながら活動してきた。その時代の変遷の中においても常にMACとして絶やさず大切にしてきたアイデンティティが存在する。
そのアイデンティティとは、「登山を通じてMACチーム・メンバーとしての志と絆を醸成すること」である。この「志」と「絆」とは4年間の部活動を通じてMACの行動目標である、「安全かつ達成感のある厳冬期登山による登頂」を成し遂げるために、チーム一丸となり全員が心身ともに汗をかき、時には互いが叱咤激励し、時には認め讃えあう、そういった学生時代だからこそ挑むことのできる掛値のない「関係性の構築」によって生まれるものなのである。そうすることによって、目には見えない固い結束を醸し出し、結果MACメンバーとしての強い「志」と「絆」が醸成されていくのである。
山は時として美しい風景を披露し、人々の心を魅了する。だからこそ多くの人たちが四季を通じて国内外の山々に赴き、それぞれの山の魅力を謳歌するのである。しかし時に山々はそういった優美な姿から一変し、猛烈な風雨・風雪を身に纏い、人々を寄せ付けない激烈な姿に豹変するのである。その姿も本来の山の姿であり、だからこそ我々MACは山に対して常に畏怖の姿勢と謙虚な心を持って向き合い活動することが肝要なのである。
我々MACはこれからも真摯に山に向き合い、自分たちの行動目標をチーム一丸となって成し遂げ、結果「志」をより高めるとともに、「絆」をより強固にしていくのである。
主な山歴
1991年明治大学チョモランマ峰カンシュンリッジ
1992年日本山岳会青年部アムネマチン峰
ヘッドコーチ 谷山宏典
なぜ山に登るのか?――私が高校生で山登りをはじめてから現在にいたるまで、何度となく聞かれた質問です。
この質問に対して「そこに山があるからだ」という明快な一言で答えたと言われているのが、1920年代のエベレスト登山で活躍した英国の登山家ジョージ・マロリーです。この言葉は、きっと山を登らない人でも知っているのではないでしょうか。
英文だと“Because it is there”。直訳すると「それがそこにあるから」。で、私が思ったのは「山」と訳された「it」という言葉はもっといろんな意味があるんじゃないかと。
山はもちろん、一緒に登る仲間との絆であったり、頂上から眺める美しい景色だったり、困難なルートを登りきったときの達成感であったり、テントで食べる飯の美味しさだったり……人が山に登る理由は、きっと100人いれば100通りあると思います。それでいいんだと思います。
もしちょっとでも登山に興味があれば、ぜひ山岳部の扉を叩いてください。そして、山岳部の活動に懸命に取り組むことを通じて、あなたにとっての「it」を見つけてください。何があなたの心を動かすのか、分かりません。でも、山には必ずあなたの心を満たしてくれる「何か」があるはずです。
■略歴■
2000白馬北方稜線(日本海親不知-白馬岳)冬期縦走
2001ガッシャーブルム一峰(8068m)・同二峰峰(8035m)連続登頂
コーチ 高柳昌央
植村直己先輩がこう書かれています。
「もし、あのとき、部屋の扉を開ける勇気がなかったら、いまの僕は無かったと思っている。たった一枚の、あの重く、ススけたトビラが僕の人生を決めた。一枚開けた部屋の中には、すばらしい友達、そして僕の夢あふれる将来があった」(「部報 炉辺8号」)
何事も新しい事にチャレンジするためには最初の一歩を踏み出す勇気が必要です。
ちょっぴり勇気を出して、学生時代に山登りに打ち込んでみませんか。
山に登るルールを決めるのも、登りたい山々を決めるのもあなた自身です。
あなたの目標が人生を作り、あなたの夢を実現させる大きな原動力となります。
ぜひ、扉を開けてみませんか!
■略歴■
特筆すべき登山はありませんが、四季を問わず、山に登っています。特に北海道の日高山脈の山々をフィールドとしています。過去にはアフリカ、ヨーロッパ、インドヒマラヤ、シベリアなどの遠征を経験させていただきました。現在は北海道山岳ガイド協会と帯広植村直己野外学校に所属しています。
コーチ 高橋和弘
今でも心に残っている光景があります。来る日も来る日も深い雪をかき分けて、ようやくたどり着いた黒部別山。私と、そして共にここにやってきた仲間以外に誰一人存在しない世界。目の前には夕日に照らされた剱岳が黄金色に輝き、そこに存在する音は、雪を踏みしめる足音、吹き抜ける風、そして自分の呼吸音が全てでした。日本にこんなに美しいところがあるのか。神の存在をも感じる瞬間でした。また、明大山岳部で登山を共にした仲間と挑んだアンナプルナ南壁、心の底から仲間を信頼し、心を一つにして巨大な壁に挑み得た頂上。そして下山してお互いの顔を見た時に、「自分はこの世に確かに存在する。そしてこのかけがえの無い仲間と出会えて良かった」と心の底から喜びを感じました。そんな感動を味わえる部です。遭難回避を大前提とし、真剣に登山に向き合うこの山岳部で、大学生活を誇れるものにしていきませんか。心からの感動をともに分かち合う日が来ることを、楽しみにしています。
略歴
〔国内〕
1995冬 早月尾根-剱岳 登頂
1998冬 水晶岳・赤牛岳-黒部川横断-薬師岳Ⅰ稜-薬師岳-折立
2000冬 冷尾根‐爺ヶ岳‐鹿島槍ヶ岳‐十字峡‐黒部別山-三ノ窓尾根‐剱岳‐早月尾根
2005冬 槍ヶ岳東稜
2007冬 白萩尾根-白萩山-赤谷山-赤谷尾根(白萩尾根第2登?)
2012 両神山麓トレイルラン 総合2位
〔海外〕
1995 ガングスタン(6162m)登頂
1996 K2(8611m)登頂
1997 マナスル(8163m)登頂
1999 リャンカン・カンリ(7535m)初登頂
2001 ガッシャーブルム2峰(8035m)・1峰(8068m)連続登頂
2002 ローツェ(8516m)登頂
2003 アンナプルナ1峰(8091m) 南壁英国ルートより登頂
2012 レーニア(4392m)高校生を引率、登頂
・MOUNTAIN EQUIPMENT サポートクライマー
コーチ 佐々木理人
みなさんこんにちは!
大学生活では様々なこと学んで様々経験を積んでいます。
今こちらをご覧になっている方は、何かしら山岳部に興味を持って見ていただいているのかと思います。
山登り自体はとてもシンプルですが、深く知るほど歴史や分野が細かく分かれおり一つの体系をなしています。
明治大学山岳部で活動しているのは、その中でも「縦走」と言われる登山が中心です。
また、厳冬期の山々を目標とした年間の活動であるため、充実感と達成感を得られることを保証します。
しかし、そのためには日々の努力が大切です。
はじめは何も分からないかも知れませんが、頑張って続けください。
山岳部に入ると学問以外の人間力が養われ、卒業後の社会での大きな自信となります。
なので、山岳部の諸先輩方は高所登山はもちろん大手企業でリーダー的な中心となって活躍される方を多く輩出しています。
<登山関係>
2008年 4月 明治大学体育会山岳部入部
2008年 1月 厳冬期早月尾根 劔岳登頂
2010年 1月 厳冬期北方稜線へ挑戦
2011年 1月 蓮華岳東尾根より蓮華岳登頂
2011年 6月 北米最高峰デナリ山 登頂
2012年 3月 明治大学卒業
2012年 6月 北アルプス無補給200km縦走
2013年 9月 K2(8611m)へ挑戦。7000m付近で雪崩に遭遇し敗退
2015年 3月 アイランドピーク(6160m)へ挑戦し登頂
<仕事関係>
現在web制作に従事している。
リンク先:マナスル初登頂60年
リンク先:Nature experience
リンク先:VENTURELABO
コーチ 宮津洸太郎
息を呑むような美しい山々
その別世界で過ごす非日常感
仲間と協力して手にする登頂と達成感
そういったものに惹かれ、私は山岳部に入り、今も登っています。
山には多くの危険要素が潜んでおり、それらを技術や体力、経験、チームワークなどを駆使して回避しなければなりません。
そのため活動は油断を許さず、甘くなく厳しいものになると思います。
だからこそ、決して他では味わえない充実感を、
大学卒業後の生活で活きる力を、
かけがえのない仲間を得られると信じています。
コーチとして、微力ながらサポートできたらと考えています。
略歴
2011年 デナリ(6190m)登頂
2015年 ジャネⅡ峰(6318m)初登頂
2018年 メラピーク(6490m)登頂
2018年 チャムラン(7319m)西稜 6500mまで
2019年 デナリ(6190m)登頂